【4】
リザレリス王女とウィーンクルム王子の結婚の話題は、まるで既成事実かのように国中へ広がっていってしまった。ドリーブはマスコミにも強いパイプを持っている。彼の息のかかった新聞記者たちが動いたに違いない。
「このような事態になり、大変申し訳ございませんでした」
夕陽が射しこむ王女の自室で、ディリアスはリザレリスに深い謝罪を示した。
これは完全に失態。ドリーブにいいように出し抜かれてしまった。頭を垂れながらディリアスは歯ぎしりを抑えられない。
このような状況になってしまった以上、表立って政略結婚に反対することも難しくなってしまった。ここでディリアスが反対意見を表明した場合、ドリーブの張る論陣はこうだろう。
「ディリアス公は自身の権力が揺らぐのを恐れて王女殿下の結婚に反対している。国家の窮乏も顧みず、己の権力欲のためだけに」
実に巧妙で狡猾。ディリアスは追い詰められているのだった。
しかもドリーブの、政略結婚を正当化する理論自体は間違ってもいない。王女殿下が目覚めてから僅かの間によく練り上げて実行したなと、ディリアスは感心すらしていた。
事実、思想信条や人格は別にして、ドリーブは極めて優秀な男だった。
「あのさ」
着座して腕組みをするリザレリスが口をひらいた。さきほどの一件以来、彼女は妙に大人しくしていた。いったい何を考えているのだろうか。
「なんでしょう。王女殿下」
「俺...わたし、街に出たいんだけど」
「は?」
「だから街を見たいんだよ」
「しかし、今の王女殿下は話題の渦中にあります。今しばらくは城内に留まることが賢明かと」
「顔って知れてんの?バレなきゃ大丈夫じゃね?」
「それはそうかもしれませんが」
「ほら、ローマの休日って映画みたいにさ」
「......それは、なんですか?」
「あっ、あれってバレてたか。うーん、そうだ。変装でもすれば完璧じゃね?」
「しかし、万が一のことも考えると護衛も付けなければなりません。となると」
「じゃあエミルはどうだ?」
リザレリスは嬉しそうに提案する。
「......なるほど。確かにエミルならば、あらゆる意味で王女殿下の護衛には適役ですね」
「じゃあエミルを付けてもらってさ。出かけてもいいだろ?」にわかにリザレリスのテンションが上がる。
ワクワクと目を輝かせる王女。それはディリアスの目に、ただの天真爛漫な十代の乙女の姿に映った。
ディリアスは思う。彼女の意志は、できるかぎり尊重して差し上げたいと。
「では、エミルを呼んで打ち合わせをしましょう」
ディリアスは了承した。
「やった!ディリアスは良いヤツだな!」
リザレリスは勢いよく立ち上がり、ディリアスの肩を無邪気にバンバン叩く。それからふと、あることに気づいた。
「王女殿下?」
ディリアスに問いかけられ、リザレリスは疑問の顔を向ける。
「今の〔ブラッドヘルム〕の吸血鬼は血も薄くなってしまって、吸血鬼の特性とか体質はほとんどないって言ってたよな?」
「それがどうなさいましたか?」
「だからみんな吸血もしないし日光とかも大丈夫なんだよな?」
「さようでございます」
「じゃあ俺...わたしは、日の光を浴びても大丈夫なのか?」
率直な質問だった。ましてやリザレリスにとっては今後の生活を考えると死活問題でもある。ところがディリアスはクスッと吹き出した。
「失礼しました。つい」
「な、なんだよ。そんなヘンな質問だったか?」
「王女殿下。日中、部屋のカーテンは開けていらっしゃいますよね?」
「開けてるけど?天気も良くて気持ちイイし」
「今も、窓から夕陽が差しこんでいます」
「だから?」
「窓から差しこむ日の光を浴びて、体調は崩されましたか?」
「あっ」リザレリスはやっと自覚する。「そういえば全然平気だったわ」
「外に出ても問題ございませんので、どうかご安心ください」
ディリアスは微笑んだ。しかしリザレリスはどこか腑に落ちない。
「でもわたしって、他のみんなと違ってガチの吸血鬼じゃないの?実際、吸血もしたわけだし」
「この問題に関しては、明確な記録が残っています」
「記録?」
「王女殿下の父君も、吸血鬼の特質や能力を有しながら日光も平気であったと」
「そうなのか!」
「ですから、王女殿下も同様に平気なのは何も不思議なことではないのです」
「わたしのオヤジ、すげえ」
「史上最強の吸血鬼と謳われた方ですからね。それに王女殿下の母君も特殊な能力を有していたと記録されています。その詳細は不明ですが」
「かーちゃんもスゲーのか」
「ということなので、どうか安心してお出かけください」
「そっか、わかった」納得したリザレリスは、不安が払拭されて一気にワクワクしてくる。「安心したら早く出かけたくなってきたぞ!」
「フフ。それは良かったです」
ウキウキとわんぱく少女みたいにはしゃぐ王女に、ディリアスは目を細めた。
「リザさま。おはようございます」起きるなり若くて美しい侍女がやさしく声をかけてきた。「おはよう。マデリーン」リザレリスが応えると、マデリーンは満面の笑みを浮かべた。「本日も朝からリザさまはとってもお可愛くていらっしゃいます」「マデリーンのほうこそ朝から美人だな」元遊び人らしくリザレリスも調子良く返した。するとマデリーンの顔がトロけるようにほころぶ。「そ、そんな、リザさまからそのようなお言葉をいただけるなんて」気をよくしたリザレリスは、マデリーンの頬にそっと手を触れる。「こんな綺麗な侍女がいてくれて、俺...わたしは幸せだぜ」「はあ!」マデリーンは膝から崩れ落ちた。「まったく朝から何をやっているんですか」後ろからルイーズが呆れながらやってきた。
【25】夜、皆が帰っていった後。リザレリスが自室に戻っていってから、居間でエミルはルイーズに訊ねた。言うまでもなくマデリーンについてのことだ。確かに彼女は、まるで人が変わったようにリザレリスへ従順になった。しかし彼女がリザレリスを傷つけたことは事実。それなのに侍女として彼女を迎え入れたのはどういうことなのか。「もちろん無条件に受け入れたのではありません。マデリーン・ラッチェンは、私の課した試験に合格したので採用しました」これがルイーズの回答だった。そして彼女はこうも付け加えた。「マデリーン・ラッチェンは、何もかも正直に話してくれましたよ。その上で彼女はリザレリス王女殿下の侍女になりたいと申しました。そんな彼女に対し、私は通常よりも遥かに厳しく試験と審査を行いました。しかし彼女は合格しました。ハッキリ言いましょう。彼女は優秀です。今後、彼女は必ず役立ってくれると私は判断しました」その説明は、エミルを納得させるに余りあるものだった。ルイーズという人間のことをエミルはよく知っている。彼女の課す試験と審査というものが、どれだけ厳しいのかを知っていた。エミルにとって彼女は、真の信頼に足る人物だった。彼は彼女を尊敬もしていた。「ルイーズさんがそう言うなら、そういうことなのでしょう」エミルが納得して見せると、ルイーズは口元を緩めた。
こうしてすっかり楽しい雰囲気となった彼らへ、サプライズが起こったのは夕食の時だった。食卓に着いた彼らのもとへ、ルイーズの指示に従い侍女が料理を運んでくる。最初は誰も気にしなかったが、ふと皆の視線が彼女に貼りついて固まった。ルイーズが満を持してといった具合に、咳払いをひとつする。「彼女は、本日から新しく侍女として入って参りました。マデリーン・ラッチェンです」侍女姿となったマデリーンは、リザレリスたちに顔を向け、挨拶する。「改めまして、本日よりリザレリス王女殿下の侍女としてこちらに勤めさせていただきます、マデリーン・ラッチェンです。どうぞよろしくお願いいたします」部屋に沈黙が訪れる。誰にも理解が追いつかない。皆が口を半開きにする中、フェリックスが吹き出した。「これは参ったな。さすがに僕にも予想外だったよ」笑い声を上げるフェリックスに、マデリーンが体を向ける。「フェリックス様の温情ある措置があったからこそ、今の私があります。本当にありがとうございました」彼女の謝意に対しフェリックスが会釈した時、ようやくリザレリスたちも一斉に声を上げた。「えええー!?」
放課後、肩を落として校舎から出てくるリザリレスを待っていたのは、レイナードとフェリックスだった。このタイミングでこのふたりが待っていたということは、理由はひとつだろう。「リザも聞いていると思うけど」とフェリックスは前置きして、リザレリスの反応を窺ってきた。リザリレスは無言で頷く。それを確認すると、彼は申し訳なさそうな顔を浮かべた。「彼女が自分自身で決めたことだから、これ以上は僕にもどうにもできない」そんなフェリックスに、レイナードは言う。「いや、兄貴は最大限のことをやってくれた。俺なんか最初からなんもできてねえ」レイナードは悔しさに唇を噛んだ。空気が重くなっている彼らを、周囲の生徒たちは不思議そうに眺めていた。いったい王子ふたりが一年生と何を話しているんだろう、という目で。マズイと思ったエミルとクララが視線を交わし合う。「早く参りましょう!」エミルとクララに促され、リザレリスたちは歩き出した。一行が乗り込んだ馬車がリザリレスの屋敷に到着すると、クララが遠慮がちに口をひらく。「ほ、本当に、私までよろしいんですか?」「当たり前じゃん。こんな日だからこそ今日はみんなで楽しみたいんだよ。クララもいてくんなきゃ困る」
人気のない校舎の裏庭までやって来ると、マデリーンが立ち止まり、こちらへ振り向いた。彼女は周囲を見まわしてから、クララへ顔を向ける。「巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」自分への謝罪にびっくりしたクララは、慌てて手を横に振った。「わ、私は、むしろ加害者側で」「違う。貴女も私の被害者よ。それに貴女がいなければ本当に取り返しのつかないことになっていたかもしれない」「そ、そんな、私は」「ごめんなさい。そして、ブラッドヘルム王女様を救ってくれてありがとう」「わ、私は、できることをやっただけです」クララは複雑な胸中で恐縮するが、マデリーンの様子には安堵していた。それからマデリーンは、改まってリザリレスの方へ向く。「ブラッドヘルムさん。いえ、リザレリス王女殿下」「は、はい」やけに畏まった様子にリザリレスはやや戸惑うが、このあとさらに困惑させられる。マデリーンが跪いてきたのだ。「この度は、多大なご迷惑を
【24】シルヴィアンナと取り巻きは、教室で呆気に取られていた。あの日の翌日以降、リザリレスが何も気にしていないからだ。怒るでもなければ怖がるでもなし。文句すら言ってこない。ただ何事もなかったように、教室でも外でも普通に明るく楽しく過ごしている。「どういうことなんでしょう......」取り巻きが言うと、シルヴィアンナはふんと鼻を鳴らす。「それよりもラッチェン先輩の停学処分が気になるわ。あの人、いったい何をやったの?」「さあ。あのあと私たちはそのまま帰ってしまいましたから......」「そういう約束だったからそれは仕方ないわ。ただ、あの人の停学処分の理由がわからないと、何となくわたくしたちも大人しくせざるをえないじゃない」マデリーン・ラッチェン停学については、一年生の間でも噂が広がっていた。何せマデリーンは第二王子の恋人だった女。その彼女が停学処分となったのだから、何かと勘ぐられ、囁かれてしまうのは仕方がないことだろう。ただし噂はどれも憶測レベルで、信憑性に欠けるものだった。 「し、シルヴィア様の、おっしゃるとおりです」おずおずと取り巻きは答えた。そうとしか答えようがなかった。シルヴィアンナは苛立ちを滲ませる。